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女医の奮闘記

女医の奮闘記

第5回「小西明美先生」

私は、今地域の中核病院で人間ドックを担当し、個人のリスクに応じた検診や生活指導を心がけています。予防医学に興味を持ったのは、内科の臨床医(肝臓専門)として、肝炎の予防にかかわった経験がきっかけです。でも実際に人間ドックを担当してみると、受診者のニーズは幅広く、それまでの知識だけでは間に合わなくて、禁煙外来やマンモグラフィーの読影など、必要に応じて学ぶことが多くなりました。

第4回「土井卓子先生」

私が卒業した昭和59年頃、外科に女性はほとんどおらず、入局に際しても男性医師からの抵抗がありました。「男の世界に無神経に踏み込んでくる」「どうせ育てても結婚だ、出産だとすぐに辞めてしまうから、本気で教える気はない」「女が来ると当直室や更衣室が必要だ、夜勤が嫌だなどと、気を使わなければならないから迷惑だ」などと言われたものです。また外科は急患、急変が多く、勤務時間も長く、帰宅時間も不規則で女性が家庭と両立しながら勤務するのは容易ではありません。

一方、乳腺外科は患者さんの急変や急患が少なく、手術時間も短く手術後の管理も容易です。また受診者は同性である女性医師の診察を希望するという特徴があります。さらに近年、乳腺外科は患者さんの増加が著しく、手術件数も増加し、従来の一般外科から独立する傾向にあります。

第3回「対馬ルリ子先生」

私は現在、東京・銀座で女性総合外来を開設している。私自身は産婦人科医で、18年間、東大産婦人科学教室に所属していた。その後、周産期の専門家として都立病院の総合周産期センターにいたが、毎日次々と救急搬送されてくる重症の妊産婦を診ながら、「もう少し早くリスク管理ができていたら…」と残念な思いにかられたものである。

私は、研修を続けながら二人の子を産み育て、低用量ピルの認可問題、リプロダクティブルヘルス&ライツ、生涯にわたる女性の心身の健康へと、新しい医療・保健に興味を持ち、仕事を広げてきた。

第2回「堀口雅子先生」

私はね、体が弱かったので、医者との接点が多かったのでしょう,幼い時から医者を目指していました。いただいた注射器に水を入れ人形の腕にブツリとやって遊んでいました。さて受験という時、女が医者になっても仕方ないとの声。止む無く薬学へ進み、卒後はホルモン研究の道を選びました。しかし、あきらめきれず医学部に入りなおし、30歳で卒業。専門は産婦人科を選びました。女性である特性が患者さんの理解に役立つ、ホルモンの研究が生かされるという思いからです。

当時は完全な男社会で、女性の入学に門戸を閉ざしていた大学は沢山ありました。診療も、男医の目で人間=男として診療し、性差医療という意識のないものでした。だから女医の必要もなかったのでしょう。

第1回「平田雅子先生」

医者になってもうすぐ20年になります。3年前に女性外来を開院させましたので、現在は女性の患者さんしか診ておりません。赤ちゃんは男の子も診ますが、髭が生えたらさよならです。

皮膚科医の私が女性だけを診るクリニックを始めたいと考えた時、「患者さんが半分になるのだからやっていけない」と反対の意見も多かったのですが、絶対に女性を元気にさせたいと思い決行しました。家庭もお母さんが元気だと、会社も女性スタッフが生き生きしていたら、うまくいくはずです。

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